1990年~ バブル崩壊と金融自由化の進展
変遷図
詳細
1990年、行政指導として「土地関連融資の総量規制」が行われたのを契機に、土地取引は縮小、地価下落と共に景気も急速に冷え込んでいく(バブル経済の崩壊)。その後も、資産価格(株価、地価)の下落は続き、日本経済のデフレが進行する。事業会社の再編・法的整理が増加し、金融機関には多額の不良債権が発生、大手金融機関の破綻も相次ぎ、 大手15行には公的資金が投入される。
1997年
「三洋証券」「北海道拓殖銀行」「山一證券」が相次いで経営破綻
1998年
金融システムを安定化させるため、大手銀行21行へ公的資金注入(合計1.8兆円)
1998年
「日本長期信用銀行」「日本債券信用銀行」が破綻
1999年
大手銀行15行へ公的資金注入(合計7.5兆円)
一方、90年代は金融制度の自由化(長短分離、銀証分離等の見直し)が進展、銀行・証券・信託といった業態の垣根を超えた競争が激化、後の総合金融グループ形成へと繋がっていく。
1992年
金融制度改革法成立(銀行・証券・信託の相互参入が可能に)
翌年以降、銀行は100%出資により証券子会社、信託子会社を相次いで設立
1996年
橋本内閣が日本版金融ビックバン構想提示
三原則(フリー、フェア、グローバル)のもと日本の金融市場を2001年迄にNY、LDN並にする改革であり、都銀・長信銀の垣根撤廃も発表される。
1998年
投資信託の銀行窓口販売開始