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コラム連載
井内菜津美の「ともに挑む。ともに実る。」

2023年8月25日 第1回 "軽やかに"挑戦を続けてきた これまでの歩み

左手を上げて喜ぶ井内さんと伴走者の写真

(2023年6月のジャパンパラ陸上競技大会では、1500mで自身の持つ日本記録、5000mでアジア記録を更新。ガイドランナー(伴走者)は、鈴木洋平さん)

「とにかく、やってみないとわからないんです」

井内選手に話を伺うと、何度も口にする印象的な言葉です。
周りとともに「とにかくやってみる」ことを続け、結果を出し続けてきた井内選手に、これまでの歩みを聞きました。

左手を上げて喜ぶ井内さんと伴走者の写真

(2023年6月のジャパンパラ陸上競技大会では、1500mで自身の持つ日本記録、5000mでアジア記録を更新。ガイドランナー(伴走者)は、鈴木洋平さん)

"初めて"だらけの学生生活 ~挑戦し、周りと関係を築くことの大切さに気付いた~

—陸上を始めて約20年。陸上に出会ったのは、中学校の部活だったんですね

井内:はい、当初は走るのが好きだったり得意だったりしたわけではなく、「せっかく中学生になったので運動をしたいな」と思ったのがスタートです。

—陸上部としても初めて視覚に障がいのある生徒の受入れだったんですよね。部員もみんな初めて伴走する(※視覚に障がいのあるランナーと同じロープを持って一緒に走る)という状態で、どのように走っていたんですか

井内:後で聞いた話ですが、実は、私が陸上部に入るとなって陸上部内で話をしたそうなんです。その時に、私をよく知る同級生のお姉さん2人が「井内さんは、『目が見えないから何かができない』ことはなくて、方法を伝えればいろいろなことができる人だし、少なくとも私たちは『できる』と思っているので、率先して伴走します!」と言って、入部を後押ししてくれたそうなんです。

実際のレースの写真

(視覚に障がいのあるランナーと伴走者は、1本のロープを一緒に持って走る)

そうした後押しもあって入部できたのですが、先輩も同級生もみんなとにかく初めての伴走で。どうしたらうまく走れるか、私もみんなも分からない中で、「腕と足をこうやって合わせたら走れる」とか「あまり無理やり(ロープで手を)引っ張ると走りづらいな」とか、試行錯誤を重ねながら、お互いに技術を身につけていきました。

実際のレースの写真

(視覚に障がいのあるランナーと伴走者は、1本のロープを一緒に持って走る)

—はじめは、大変な場面もあったのではないですか?

井内:学校のグラウンドで走っていても野球部やサッカー部からボールが飛んでくるという危険もありますが、外に出るとさらに大変でした。はじめは路上を走ると電信柱にぶつかってしまったり、犬の散歩をしている人にぶつかってしまったり…。2人で並んで走るので、2人分の幅が必要で、リスクも2倍になってしまう…そんな日々でした。

でも、学ぶことのほうが多かったです。ある日、先輩が「今日は私を信じて走ってほしい」と言ってくれました。公道を走る前に、危険なポイントの位置、避け方、リスクを気にせずに全力で走れる箇所や距離など、事前に不安を取り除くような情報を伝えてくれて、走る道中でもその通りに、「10m先に段差があります」などを逐一伝えてくれて、初めて「信じて走る」ことができました。そうすると、これまでで一番うまく走れたんです。
それまでは私にも不安があって、それが相手にも伝わっていたんだって…。
こちらも、「何が不安で、どんな声掛けがほしいのか、どんなサポートをしてほしいのか」など、思っていることを言葉にして伝える大切さを知りました。「言葉にしないと伝わらない」ということに気づけた経験で、特に伴走はコミュニケーションが第一なので、この気づきは今にも生きています。

—今につながる原点のような体験ですね。そのように、ゼロから作りあげる大きな挑戦をできたのはどうしてだったんですか。

井内:実は、保育園も小学校も、盲学校ではなく、一般の公立校に通っていて、私のように視覚に障がいのある生徒が通ったという前例はなかったみたいです。
母から聞くところによると、保育園に入る前には、保育士から「目が見えないとどう対応していいかわからない」と言われたそうなのですが、その場で私がお茶を1人で飲んでいるのを見て「あ、こういうことできるんですね!」と考えを変えて、入園につながったそうなんです。「知らないから『できない』と思われるけど、『知ればわかってもらえるんだ』」と母も認識したといいます。

小学校でも、一つ一つ試行錯誤しながら過ごしました。「体育は危ないのでは?」「あの競技は危ないのでは?」と心配されることもありましたが、周りの友だちも頻繁に声をかけてサポートしてくれたおかげで問題なく過ごせて…。中学校に進んでも大丈夫だと、自信がつきました。

このように、「やってみないとわからない」という方針を持つ家族のおかげで、前例のない環境にも飛び込むことができるようになったと思います。私自身、大人になるといろいろなフィルターがかかって、「そんなことができるだろうか」と挑戦を躊躇してしまう場面もでてきますが、そんなときには、「やってみないとわからない」というその言葉を思い出して、なるべく「やってみよう」と。
「やってみて無理だったら、そのときに初めて無理だと思うようにしよう」と心に決めています。

社会の変化を感じた トライアスロンでの経験

—そのあと高校でも陸上競技を続けますが、その後一度陸上を離れたのですね。

井内:そうなんです。いろいろな事情があって陸上からは離れたのですが、ある日、誘いを受けてトライアスロンを始めました。それまでは自転車に乗ったこともなかったのですが、誘ってくれた相手が、タンデム自転車(※サドルとペダルが前後に2つある2人乗り自転車)を持っていて「2人なら乗れるかな?」とか、水泳についても幼少期以来で楽しそう、とか…軽い気持ちで始めました。

—スイム(水泳)にバイク(自転車)にラン、と過酷な印象があるトライアスロンに軽い気持ちで…

井内:大変なことも知りませんでしたし、新しいことに挑戦をする時間は、新鮮で楽しかったです。タンデム自転車だと「自分でも自転車に乗れるんだ」とわかってからは、自転車に乗るときのバランスのとり方、体の使い方、曲がるときの体の傾け方など、だんだんできることが増えてきて、それまで経験できなかったいろいろなことを経験できました。ただ純粋に楽しんだ日々で、「走るのが好き」「スポーツって楽しいんだ」と思い出せたきっかけにもなりました。

それに、一つ興味深い出来事もありました。
当時は、タンデム自転車では日本のほとんどの地域で公道を走ることが許可されていなかったので、その規制を撤廃してもらわないと公道を走る大会に出ることができなかったんです。練習は、ふ頭にある公園などで行っていたのですが、毎回「ヘルメットつけています」「ルール守っています」と、近くの警察としっかりコミュニケーションを重ねて、許可を得ていました。こうした積み重ねで、徐々に大会中には公道で走れる範囲を広げてもらっていました。
「危ないから一律に禁止」という状態から、しっかりコミュニケーションを重ねて「大丈夫」とわかってもらえるような実績を出す、その積み重ねが大切だと気づきました。
今では、日本中どこでもタンデム自転車で公道を走れるようになりましたが、そうした社会の変化を感じられた大切な経験です。

井内さんを中心に走る練習をしている写真

(現在は、立命館大学の学生たちも練習パートナーの一員となっている)

軽い気持ちで復帰したフルマラソンで、支えてくれる人の存在に気づけた

—その後、陸上に戻られますが、フルマラソンに挑戦することになったのもその時ですか?

井内:家族に連れられて行ったランニングクラブ(伴走者も多く所属していた)で、周りの勧めもあって、陸上に復帰することになりました。大会などは出ずに気楽に楽しく取り組みたいと思っていたのですが、その場にいた視覚障がいランナーの先輩から「フルマラソンに挑戦したら、全部が井内さんにとって初めてで、『走るだけで自己ベスト』だよ」と言われて…。ここでも深く考えずに、話のネタにもなりそうと、その言葉にのせられてフルマラソンに踏み出しました。

そうすると、その先輩も、伴走してくれる練習パートナーをたくさん紹介してくれたり、伴走者がいる他のクラブも紹介してくれたり…。どんどん走れる環境が充実していったんです。
自分の中でも「今の実力はこのくらいだな。次の目標に向かって距離を徐々に増やしていこう」と、さびを落とすような、かぶっていた埃を払っていくような、そんな感覚で練習を詰め込むようになりました。

井内さんを中心に走る練習をしている写真

(現在は、立命館大学の学生たちも練習パートナーの一員となっている)

—軽い気持ちで挑戦したにも関わらず、真剣になったと…その原動力は何だったのですか。

井内:まずは、「走ることが好き」という気持ちです。一度距離を置いたからこそ気づきました。
そして、なんといっても周りの支えへの感謝の気持ちが大きいです。練習パートナーは、仕事が終わったあとの貴重な時間を使って、気合を入れて伴走してくれていました。私が走るために時間を使ってくれたことにも感謝の気持ちでいっぱいですし、その中でその方に「あとちょっと頑張ろう」という声かけをされると、「頑張ろう!」ってどんどん気持ちが高まりました。周りの期待にこたえたいという気持ちが大きかったです。

初めて大会でフルマラソンを走り切って、自分の目標タイムを切ったときにも、周りのみんなが自分のことのように喜んでくれました。「こんなに喜んでくれる人がたくさんいる」「支えてくれている人がたくさんいる」ことに改めて気づいて、ますます頑張ろうと思えるようになりました。

井内選手が体現する「ともに挑む。ともに実る。」

—井内選手にとって陸上の存在の大きさが伝わってきます。陸上によってどんなものを得ましたか。

井内:やはり周りとの関係性の築き方です。とにかく「言葉にしないと伝わらない」というのは、昔も今も感じています。伴走者も、体のケアをしてくれているトレーナーも、日々たくさんアドバイスをくださいますが、私から「この感覚がつかめない」「こう改善してみたい」など、感じることを言葉にして伝えないと、相手と一緒に良いものを作りあげることはできません。
「試す、考える、次に向けての案を出す」という良い循環を回していけるように、しっかり「伝える」ことを大切にしようと思っています。
「伝える」ことは簡単ではなくて、答えが見つからなくて迷走するときもありますが、そんな挑戦、試行錯誤が楽しいです。

エアロバイクでトレーニングをしている写真

(井内選手と、トレーナーの大渡泰子さん)

また、感じることを言葉にするためにも、「自分自身を客観視し、自分自身をコーチングする」ことも大切だと感じています。社会人になって、自分自身で練習メニューを組む必要が生じてからは、日々の練習をただこなすのではなくて、「自分に今何が足りないのか」「目標に向かって自分がやるべきことは何か」と、…自分自身を客観視する訓練を積んでいます。

— 一社会人として、仕事や生活にもそのまま生かせそうな言葉だと感じます。そして、「言葉にしないと伝わらない」というのは、学生時代からの経験がそのままつながっていますね。伴走者というともに歩む相手が欠かせない競技に取り組むからこそ強く感じることなんでしょうか。

井内:そうですね。伴走者も多くいて皆さんが私の日々の練習を支えてくれていますし、コーチやトレーナー、〈みずほ〉の社員で応援してくれる方…。仲間がたくさんいてくれることは私にとって大きな意味を持ちます。だからこそこうして陸上を長年続けられているんだと思います。一人であれば「今日は練習をやめておこう」という気持ちになるかもしれませんが、いろいろな人が私のことを応援してくれてサポートしてくれていると思うと、「今日も暑いけど頑張ろう」「これだけたくさんの仲間がいてくれるから頑張ろう」と、皆さんの存在が力になっています。

みずほの旗を振って応援している写真

(大会に出る際には全国各地の〈みずほ〉社員が応援に駆け付ける)

—そうお聞きすると、「ともに挑む。ともに実る。」はまさに井内選手の歩みを体現しているように感じます。

井内:本当に、私もこの言葉を初めて聞いたときに「好きだな。すごく自分に当てはまっている。」と感じました。みんなと一緒に戦いながら一緒に成長できていると思っていますが、これからも、〈みずほ〉の一員として、その言葉を体現できるようにもっともっと頑張ろうと思います。


井内選手は、8月27日 日曜日に8ヵ月ぶりのフルマラソンのレースとなる、北海道マラソンに出場します。「過酷な夏開催のマラソン。体力が厳しくなり、気温も上がってくる後半をいかに乗り越えるかを大切にトレーニングを行ってきたので、特に後半部分に注目してください!」と話していました。
井内選手の走りに注目です!


〈インタビュアー/執筆者〉

みずほリサーチ&テクノロジーズ 社会政策コンサルティング部
ヒューマンキャピタル創生チーム 主任コンサルタント 堀 菜保子

井内さんと堀さんが並んでいる写真

2017年日本放送協会にアナウンサーとして入局。「おはよう日本」スポーツキャスター、東京オリパラ・北京オリパラの現地キャスターなどを務める。主に、「障がい」「パラスポーツ」「ジェンダー」「LGBTQ+」「先住民族」「DV」などについて、取材・記事執筆・番組制作。
2023年4月より現職。外国人技能実習生等の官公庁の受託調査研究業務、性的マイノリティや女性の人権尊重における地域金融機関の役割に着目した事業開発、「ビジネスと人権」や「人的資本経営」に関する企業支援等に従事。

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