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この国の未来を実現するため、過去最大のプロジェクトファイナンス組成に挑む

羽田と関空の民営化。
企業とともに国の未来を創る、<みずほ>のホールセールビジネスとは。

1989年入社 | プロジェクトファイナンス営業部PPP推進室 
 | 井上 真Makoto Inoue

2001年入社 | 営業第十四部 
 | 能村 志朗Shiro Nomura

2007年入社 | 欧州プロダクツ営業部 
 | 柿澤 健一朗Kenichiro Kakizawa

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「事業融資最大の1900億円関空・伊丹に」「13金融機関が参加過去最大のプロジェクトファイナンス」関空民営化の前日。2016年3月31日の経済各紙朝刊にそんなタイトルの記事が並んだ。

<みずほ>で、このニュースを特別な思いで受け止めた人たちがいた。東京のプロジェクトファイナンス営業部・井上と営業第十四部・能村、そして、英国・ロンドンの欧州プロダクツ営業部・柿澤だ。今回の案件において中心的な役割を果たし、案件を成功に導いた3人である。

「関空の案件は、実は2010年から追いかけてきました」。案件を牽引した井上が、その経緯を語る。「当時の政府の成長戦略において、伊丹空港も含めた関空の民営化の検討が開始されました。その後、法改正が行われ、2012年7月、両空港の管理会社として新関西国際空港(新関空会社)が発足。ここから民営化プロセスが本格化し、2015年5月と9月の2回の入札を経て、最終的にオリックス社とVINCI社を中心とするコンソーシアム(企業連合)が優先交渉権を獲得し、基本協定を締結。12月に両社を中心に運営母体となる関西エアポート社を設立し、2016年4月1日から事業開始となったわけです」。

<みずほ>は、みずほ銀行、みずほ総研やみずほ証券が一体となって早くから国内空港民営化の流れを読み、政府に対する民営化への助言や新関空会社の取り組みを支援し続けてきた。その集大成ともいえる本件において、井上は国内最大のプロジェクトファイナンスのストラクチャリング(融資手法の構築)を、能村はオリックス社のRMとして同社との緊密な連携のもと案件全体の推進役を、柿澤は欧州サイドからVINCI社に対するマーケティングや交渉、ファイナンス組成をそれぞれ担当した。さらに案件組成において、みずほ信託やみずほ銀行産業調査部、審査部、関西金融法人部、パリ支店など多くの仲間たちが彼らをサポート。まさに、総合金融コンサルティンググループとしての機能を最大限に発揮し、全力で取り組んだのである。

リードアレンジャー最高位のトップレフトの獲得

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本件シンジケートローンの組成において、<みずほ>はリードアレンジャーを務めたが、その中でも金融機関にとって最も栄誉である「トップレフト」に指名された。能村は言う。「大変注目された案件であったため、たくさんの金融機関が提案してきており、トップレフトの獲得に向けて外資系金融機関も含め、非常に厳しい競争を乗り越える必要がありました」。

なぜ<みずほ>が栄冠を勝ち得たのか。能村が続ける。「羽田空港PFI案件の実績を抜きにはありえません。羽田案件のファイナンスを骨格として、本事業の特性やオリックス、VINCI社両社のニーズを捉えてバージョンアップし、完成したのが今回のファイナンスストラクチャーです。両社は羽田案件で培った<みずほ>の知見やノウハウを高く評価し、<みずほ>を金融面でのパートナーに選定したのです」

井上も、羽田の経験の重みに言及する。「勝因は、お客さまが一番求めていた“期限内で確実に実現できる可能性が一番高いファイナンスストラクチャー”を出せたこと。競合先は金利などのコスト面で優位性を出そうとしていましたが、<みずほ>は羽田の経験を裏づけに「どうしたら実現できるのか」という点にこだわって提案を続けました。コスト面以外は単に<みずほ>の実績を真似た提案と、汗をかいて実態を把握している私たちの提案とでは、リアリティに決定的な違いが出るのです」。
では2人が言う羽田案件とは、いかなる案件だったのか。

羽田を世界のハブ空港へ日本初の独立採算型PFI

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羽田案件とは、首都東京を世界につながる玄関とすべく、羽田空港の国際化・ハブ空港化に進化させる2つの大型PFI事業を、<みずほ>が金融面から支え続けた案件を指す。第一弾の2005年から2010年までの国際線旅客ターミナルビル、エプロン(駐機場)などの整備事業では、事業者の側にたってファイナンシャルアドバイザーとして事業計画作成などにより入札を支援。さらに、第一弾、第二弾のシンジケートローンのリードアレンジャーとして融資する金融機関の取りまとめという大役を果たしたのだ。これらの事業はすべて、当時、先進国の中ではまだ例を見ない国の基幹空港のPFI事業であり、しかも、より高い専門性が求められる「独立採算型」であった。

PFIは、民間の資金やノウハウ、技術を活用して公共施設や社会資本の整備を行う手法で、効率的な財政支出と質の高い公共事業・サービスの両立を目的とする。従来は民間事業者が施設を整備するだけで、サービス対価を公共が支払う「サービス購入型」であり、税金によってその事業は賄われていた。これに対して、独立採算型では施設整備のみならず運営を民間に任せ、その対価をすべて事業収益で賄う。羽田PFI事業は、税金を一切使わず、民間事業者だけで設計・施工から運営・維持管理までを行う、日本初の画期的な事業であった。

羽田は独立採算型だったからこそ、産業の将来を予測するプロフェッショナルとしての専門性が最大のポイントだったと井上は振り返る。「事業計画の作りこみから金融機関への説明・資金調達まで、ファイナンスに関わるすべてが私たちの役割でした。事業計画作成にあたっては高い産業知見を有している<みずほ>の産業調査部の実際の活躍が非常に大きかった」。

当時、井上はまず海外の主要空港のビジネスモデルの調査からはじめ、今後、羽田就航が見込まれる航空各社の動向、羽田空港の位置づけを調査、将来の航空需要を分析し仮想のフライトスケジュールを作成。何通りものリスクシナリオを想定し、事業者や金融機関が納得できるような事業計画を策定していった。

順調に進んでいた羽田案件。しかし、その日は突然訪れた。2011年3月11日の東日本大震災だ。この時の苦労を当時の井上はこう語っていた。「一時的ではありますが、直後の羽田空港利用者数は4割減少しました。これをきっかけとして、地震大国である日本において災害が起きた場合のリスクを重く捉えた外資系金融機関のほとんどは検討していたファイナンスを取りやめました。ファイナンス契約までの時限が迫る中、30年間にわたる融資期間の中でもし東京で大震災が起きた場合のリスクにどう対応するのか?という問題を解決し、かつ抜けてしまった外資系金融機関の代わりを新たに見つける必要がありました」。

時限が迫り、追い詰められていく中、それでも井上を突き動かしていたもの。それは羽田のハブ空港化が日本産業の競争力を高め、日本の未来を創造するという強い信念だった。再度、日本全国の空港の就航数、利用者数をはじめ、潜在的な期待値をまとめデータ化。また仮に震災により空港の全面建替えが必要となった場合にも、国や民間からの資金調達が可能であり、事業継続に何ら問題がないことを立証。外資系金融機関の抜けた穴を他の金融機関でカバーすることに成功したのである。

“Client-Oriented(お客さま第一)”を胸に秘め、
信頼関係を創り上げるのがRMの役割

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もちろん、羽田の実績だけでトップレフトが取れるほど簡単ではない。勝因は他にもある。能村は2013年頃、空港運営事業に新規参入意欲を持つオリックス社の動きをつかんで以降、<みずほ>の知見やノウハウをもとにディスカッションを深め、信頼関係構築に努めた。一次入札の半年前、検討ステージが上がると、井上との連携を強化。その後、VINCI社とのコンソーシアム形成から入札に至るまで状況が目まぐるしく変わる中、一貫してオリックス社との緊密なコミュニケーションに心を砕き、行内調整も含め、関係者全員をつなぐ“ハブ”役として、全体の進捗管理を行った。
「とにかく前例のないビジネスだったので、あらゆるチャレンジをしました。お客さまの事業パートナー選びのために欧州に飛び、空港オペレーター各社を訪問して情報収集したり、機関投資家に出資の意向を打診したり、お客さまのためになることなら何でもやる、という姿勢でした」。
能村を突き動かしたもの、それは、とにかくお客さまのためにという“Client-Oriented”の想いだ。「お客さまのことなら、私が誰よりも知っている。その自信があるから、関係部署を説得していけるのです。その行動がお客さまとの信頼関係を生み、関係各部との信頼、連携強化につながる。それこそが本件獲得の最大の鍵でした」。

能村の築いた信頼関係は、“次のビジネス”につながっていく。トップレフト獲得に加え、初期資金調達における劣後ローン貸出、劣後社債発行、エクイティ投資、さらに運営に伴う対象会社のキャッシュフロー捕捉など、今後も能村は<みずほ>のRMとして、お客さまとともにビジネスを発展させていく。

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